内藤晴久展

秘密基地の静謐なる気


2011年5月28日(土)〜6月19日(日)






2つの長方形


略  歴

1944 鳥取市生まれ
1967 金沢美術工芸大学産業美術科卒

個  展

◆1970 田村画廊(東京)
◆1972 田村画廊(東京)
◆1974 田村画廊(東京)
◆1977 真木画廊(東京)
◆1979 田村画廊(東京)
◆1980 村松画廊(東京)
◆1982 ときわ画廊(東京)
◆1984 駒井画廊(東京)
◆1985 ギャラリー21(東京)
一番町画廊(仙台)
◆1986 代官山画廊(東京)
◆1988 ギャラリー現(東京)
秋山画廊(東京)
    ギャラリー彩園子(盛岡)
◆1990 ギャラリー現(東京)
◆1991 ギャラリー現(東京)
◆1994 ギャラリー現(東京)
◆1995 ギャラリー彩園子(盛岡)
◆1999 レ・トロワ・アヌー(福生)
◆2002 ギャラリー森(三浦荒井浜)
◆2004 ギャラリー彩園子(盛岡)
◆2006 INFORM gallery(金沢)
◆2007 スペース23℃(世田谷)
◆2008 ギャラリー現(東京)
◆2009 INFORM gallery(金沢)
◆2010 ギャラリー彩園子(盛岡)
◆2011 沼津市庄司美術館(沼津)
  グループ展

◆1973 点展(横浜) 第2回京都ビエンナーレ(京都)
◆1975 点展(横浜)
◆1976 点展(横浜)
◆1977 汎概念展 真木画廊(東京)
◆1978 点展 村松画廊(東京)
◆1979 笠間唐桶山の暑い夏の芸術祭(笠間)
◆1983 FOCUS ’83 PART II 鎌倉画廊(東京)
     オブジェパーティー II 仙台市民ギャラリー
     (仙台)
     絵画のアポカリプス ギャラリーNAF
     (名古屋)
◆1984 庭フォルムへの遡行
     ギャラリー21(東京)
◆1985 幻境離只遊姿 ギャラリー21(東京) 
◆1986 音写と輻湊 横浜市民ギャラリー(東京)
◆1987 遠藤 利克・内藤 晴久 ギャラリー白(大阪)
◆1988 白州夏フェスティバル(山梨)
     俳句インドローイング ギャラリー現(東京)
◆1989 白州夏フェスティバル(山梨)
◆1991 風の又三郎ドローイング ギャラリー古川
     (東京)
◆1992 白州夏フェスティバル(山梨)
◆1993 詩と美術00コラボレーション 佐賀町エギジ
     ビットスペース(東京)
◆1995 フィールドワーク イン藤野(神奈川 藤野)
◆1998 第1回 FUJINO 国際シンポジウム98
     (神奈川 藤野)
◆1999 多摩川野外美術展99(福生)
     自慢満足W「誰でもピカソ?とんでもない」
     ギャラリー21(東京)
◆2000.01.03.04 同
◆2004 聞修院5月の座禅パーティー(青梅)
◆2007 欲望のプロセス ギャラリー森(三浦荒井浜)
◆2009 滝沢アートフィールド2009 (岩手)
◆2010 GALLERY HINOKI ARTFAIR XII (東京)
     −版による―ギャラリ−檜BC(東京)

 
秘密基地
 
内藤晴久


馬引沢を散歩していると、小石のある川原を見つけた。ケヤキらしき巨木が二本、大きな岩がひとつ。杉と竹林の森に囲まれ静寂そのもの。かすかな水の流れる音と、ひんやりとあまい空気。「ここを、私の秘密基地に。」ときめる。

以来もう二十年近くなるだろう。そこで三点ほど、秘密基地について考えてみた。

1 水はなぜ、透明なのだろうか。

小石の上を、サラサラと流れる水を、眺めていると不思議な感動を呼ぶ。しかし生命体は、水から成立しているでは。ならば、「透明人間」も可能ではと。何よりも、「意識」は、透明であることを、限りなく求めているでは。

2 この静けさの、根源とは何か。

無音ではない。木々のざわめき、水や鳥のかすかな音に満ちている。しかし、心地よい静けさを意識している。とりわけ、二本の樹の間のスペースを眺めると、いつも心踊るものがある。私が消失した「沈黙の劇場」は、無限に通じるような。

3 心が、落ち着くのはどうしてだろう。

このスペースに来ると、心身共に軽くなるような。心は、広大無辺。宇宙も、広大無辺。
心=宇宙となる。生命とは、宇宙からやってきたのだ。生命=宇宙となるだろう。

私は散歩する。この惑星も、宇宙空間を散歩している。私と惑星はともに散歩しているのだ。こんな楽しいこともない。死も忘れてしまう。


2011.2.3記